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ヘンリー・ステュアート (ダーンリー卿) : ミニ英和和英辞書
ヘンリー・ステュアート (ダーンリー卿)[けい, きょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
アート : [あーと]
 【名詞】 art
: [けい, きょう]
 【名詞】 1. lord 2. state minister 

ヘンリー・ステュアート (ダーンリー卿) : ウィキペディア日本語版
ヘンリー・ステュアート (ダーンリー卿)[けい, きょう]

ダーンリー卿ヘンリー・ステュアートHenry Stuart, Lord Darnley、1545年12月7日 - 1567年2月10日)は、スコットランド女王メアリーの2人目の夫、王配(King Consort)。初代オールバニ公、ロス伯。スコットランド王ジェームズ6世(イングランド王ジェームズ1世)の父。
== 生涯 ==

=== 生い立ち、メアリーとの出会い ===
ヘンリーは1545年にイングランドヨークシャーで、第4代レノックス伯マシュー・ステュアートヘンリー8世の姪との間に生まれた。父レノックス伯は、父系では王家の先祖でもある第4代王室執事長(Lord High Steward)アレグザンダー・ステュアートの末裔でステュアート家の一員であり、また父方の祖母エリザベス・ハミルトンがスコットランド王ジェームズ2世の外孫であるため有力な王位継承権も持っていた。しかし、1544年にイングランド軍を率いてダンバートン城を占領しようとしたため、スコットランドから追放されていた。イングランドへ逃れたレノックス伯はヘンリー8世に快く迎えられ、姪のマーガレットとの結婚を許された。
母マーガレットはヘンリー8世の姉マーガレットとアンガス伯アーチボルド・ダグラスの娘で、女王メアリーの父ジェームズ5世の異父妹であった。マーガレット・ダグラスは野心家の女性で、息子ダーンリー卿と女王を接近させようと、1560年に、メアリーの夫であったフランソワ2世の弔問にダーンリー卿を赴かせた。メアリーがスコットランドに戻ってくると、レノックス伯一家は復権を許され、帰国も認められた。先にスコットランドへ帰国していたレノックス伯は、息子のダーンリー卿を故郷に呼び寄せた。
1565年2月18日、ウェミース城でメアリーとダーンリーは再会した。メアリーは従弟ダーンリーに一目惚れした。メアリーは彼の、自分より長身で均整のとれたすらっとした体つき、ロンドン宮廷仕込みの洗練された優雅な物腰が気に入った。またダーンリーは陽気で、メアリーと同じく狩猟好きでリュートやダンスが得意であり、このような所も2人は共通しており、メアリーの好みに合っていた。さらに、彼はステュアート家の血を引くカトリックであり、しかもヘンリー7世の曾孫で強力なイングランド王位継承権を持っているのも好都合だった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヘンリー・ステュアート (ダーンリー卿)」の詳細全文を読む




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